誤解
2006年8月16日彼の友達たちと、何時間話をしただろう。
こんな人に囲まれてたんだって思った。
月に1度「Sくんの会」っていって飲み会してるんよ。
よかったら今度来てよ、ってそう言ってもらった。
そして、4時すぎ。
彼の弟がやって来て、
「お母さんが話したいって言ってるんやけど、いい?」って。
彼のお母さんと話をするのはいつぶりだろう。
彼が私との結婚をためらっていたのは
お母さんが反対してるんだってずっと思っていた。
彼が前に付き合っていた彼女と別れた原因がお母さんの反対だったと聞いていたから。
それは実際はどうだったのかはわからないけど。
そういうのもあって、話をするのが怖かった。
だけど、聞きたい気持ちもあった。
彼がもう死んでしまったからこそ。
どうして、私じゃダメだったのか。
隣の部屋に行くとお母さんがソファに座っていた。
とても細くて、小柄で、目が大きくて、
とても上品でキレイな人。
彼も彼の弟も大好きなお母さん。
彼の友達もキレイだと噂するほどの人。
お母さんの前に行くと、涙をうかべながら
「いつもね、もう泣かないようにしてるんです。
でもね、あなたを見ると思いだしてダメなんです。」
と言ってお母さんはまた涙を流した。
私も泣いた。
お母さんは手に持っていた写真を私に出して、
「あの子の部屋から出てきたんですけど、
この笑顔が本当に心を許した人にしか見せない笑顔で、
あの子はなかなか難しい子でしたから。
あなたの前でこんな顔して笑ってたんだなって思ったら、
すごく幸せだったんだと思ってね。
どうもありがとうございました。」
それは2002年のお正月、
一緒に京都に行った時の写真。
清水寺で手をつないでとったものでした。
私も一番好きな写真。
会社のデスクを開けるとすぐ目に入る場所に置いているもの。
お母さんは私が聞く前に話始めた。
「あの子からあなたと結婚しないって聞いた時、
私のせいやって思ったんです。
あの時ね、私すごく体を悪くしてて、
起き上がれないくらいひどかったんですよ。
あなたと結婚して私の世話をさせたくなかったんやと思います。
うちの会社もうまくいかなくなってて、
あの子はあなたに苦労させるんが嫌だったんだと思います。」
涙が出てきた。
そして一番気になっていたことを。
「お母さんは反対してたんじゃないんですか?」
お母さんは驚いたように
「反対はしてないんですよ。
ただ、会社がつぶれて、あの時は家も大変やったからね。
そしたら急に別れるって言いだして、
なんでって何回も聞いたんですけど、
それ以上はあの子も言わなかったんです。
私も体調を崩してたから強くは言えなくて。
本当に一緒になってもらいたかったんですけど。」
彼の家はとても大きな会社だった。
小さい頃からきっと何不自由なく育っていたんだと思う。
だけど、数年前、会社は倒産。
当時、新聞の一面にものったと友達から聞いた。
彼がその時何を思ったのか、
私には話してくれなかったけど、
自分もそこで働こうと勉強をしていた彼にとって、
急に将来が見えなくなったんだと思う。
きっと結婚をあきらめるくらいの出来事だったんだと。
もともと裕福な暮らしをしていた彼にとって、
普通では満足できなかったのかもしれない。
私には苦労させたくないって
いつか泣きながら言っていたこともある。
私の家が会社を経営していたことも、
別れを決断する原因だったと彼は言っていた。
私は彼に幸せにしてもらおうなんて思ってなくて、
ただ、彼じゃないと幸せになれないって思っていた。
不器用で、まっすぐで、
「好きだったら付き合っててもいいじゃない。
結婚なんてまだ先のことなんだし」
そういう私に、
「幸せになってもらいたいねん。僕じゃあかんねん。」
といって泣いた彼。
「結婚できるかもわからんのにずるずる付き合えへん。」
と何度も言い合いを繰り返した。
だけど、お互い好きで、永遠に切ることなんてできなくて、
電話をしてしまう。
彼も酔うと電話してきて、時には泣いた。
すぐに会えない距離がもどかしくて、寂しかった。
それでも年に何回かは会いに行って、デートもした。
ただ、けじめはつけないとあかん
といって、ある時からは一度も泊まったことはない。
そういうまっすぐなとこが好きだったけど、切なくて、
何度ももう会わないって思ったけどやっぱり無理で。
この何年かはお互い本当に苦しかった。
そういえば亡くなる少し前、いつものように酔っぱらって電話をしてきて
「エッチしたい」
って言ってたな。
その時は私も嬉しかったのと恥ずかしかったので、
「いいよ〜。いつすんの?」
って言って、じゃあ、3月はお泊まりで遊びに行くわ。
って話した。
その約束を果たす前に亡くなってしまったから、
あれが本気だったのかどうかわからないけど、
3月に神戸でボクシングの試合があって、
それに誘ってくれていて、
試合は夜だったから、もしかしたらお泊まりしてたのかもしれないなって
今でも思わずにはいられない。
別れてから遠慮してたのか彼の方からは会おうとかってあまり言ってくれなかったから
そのボクシングに誘ってくれたことが本当に嬉しくて、
絶対に行きたいと思ってたのに。
そんな話をして、
お母さんは最近まで電話をしたり
会っていたことを知らなかったから
「あの子は最後まであなたに会わせてもらってて
幸せやったと思います。本当にありがとうございました。」
とお礼を言われた。
きっと誰が悪いんでもない。
最後まで彼の彼女でいたかったという思いもあった。
だけど、私は彼の最後の彼女には間違いなくて、
そんなこと本当はどうだっていいんだけど、
そんなことにこだわってしまう。
そして、1月の彼の誕生日プレゼント。
結局渡せなかったおそろいのネックレスをお母さんに渡した。
まだ納骨されてないから、納骨まで仏前に置いてほしいと思った。
お母さんはありがとうと受け取ってくれて、
「納骨の時にこのネックレス、私がもらってもいいですか?」
と聞かれた。
「私はお母さんがもらってくれるなら一番うれしいです」
と言った。彼はお母さんが大好きだったからきっとそれが一番いい。
最後に不思議なことがあって、
起き上がれないくらい体調の悪かったお母さん。
お葬式の時もお寺のたたみに座ることができなくて、
椅子に座ってたのに、
亡くなったあと、嘘みたいに病気が治って、
病院でも原因がわからないって言われたらしい。
きっと彼が治してくれたんだって、私は思っている。
お母さんと話ができたこと、
本当に良かった。
こんな人に囲まれてたんだって思った。
月に1度「Sくんの会」っていって飲み会してるんよ。
よかったら今度来てよ、ってそう言ってもらった。
そして、4時すぎ。
彼の弟がやって来て、
「お母さんが話したいって言ってるんやけど、いい?」って。
彼のお母さんと話をするのはいつぶりだろう。
彼が私との結婚をためらっていたのは
お母さんが反対してるんだってずっと思っていた。
彼が前に付き合っていた彼女と別れた原因がお母さんの反対だったと聞いていたから。
それは実際はどうだったのかはわからないけど。
そういうのもあって、話をするのが怖かった。
だけど、聞きたい気持ちもあった。
彼がもう死んでしまったからこそ。
どうして、私じゃダメだったのか。
隣の部屋に行くとお母さんがソファに座っていた。
とても細くて、小柄で、目が大きくて、
とても上品でキレイな人。
彼も彼の弟も大好きなお母さん。
彼の友達もキレイだと噂するほどの人。
お母さんの前に行くと、涙をうかべながら
「いつもね、もう泣かないようにしてるんです。
でもね、あなたを見ると思いだしてダメなんです。」
と言ってお母さんはまた涙を流した。
私も泣いた。
お母さんは手に持っていた写真を私に出して、
「あの子の部屋から出てきたんですけど、
この笑顔が本当に心を許した人にしか見せない笑顔で、
あの子はなかなか難しい子でしたから。
あなたの前でこんな顔して笑ってたんだなって思ったら、
すごく幸せだったんだと思ってね。
どうもありがとうございました。」
それは2002年のお正月、
一緒に京都に行った時の写真。
清水寺で手をつないでとったものでした。
私も一番好きな写真。
会社のデスクを開けるとすぐ目に入る場所に置いているもの。
お母さんは私が聞く前に話始めた。
「あの子からあなたと結婚しないって聞いた時、
私のせいやって思ったんです。
あの時ね、私すごく体を悪くしてて、
起き上がれないくらいひどかったんですよ。
あなたと結婚して私の世話をさせたくなかったんやと思います。
うちの会社もうまくいかなくなってて、
あの子はあなたに苦労させるんが嫌だったんだと思います。」
涙が出てきた。
そして一番気になっていたことを。
「お母さんは反対してたんじゃないんですか?」
お母さんは驚いたように
「反対はしてないんですよ。
ただ、会社がつぶれて、あの時は家も大変やったからね。
そしたら急に別れるって言いだして、
なんでって何回も聞いたんですけど、
それ以上はあの子も言わなかったんです。
私も体調を崩してたから強くは言えなくて。
本当に一緒になってもらいたかったんですけど。」
彼の家はとても大きな会社だった。
小さい頃からきっと何不自由なく育っていたんだと思う。
だけど、数年前、会社は倒産。
当時、新聞の一面にものったと友達から聞いた。
彼がその時何を思ったのか、
私には話してくれなかったけど、
自分もそこで働こうと勉強をしていた彼にとって、
急に将来が見えなくなったんだと思う。
きっと結婚をあきらめるくらいの出来事だったんだと。
もともと裕福な暮らしをしていた彼にとって、
普通では満足できなかったのかもしれない。
私には苦労させたくないって
いつか泣きながら言っていたこともある。
私の家が会社を経営していたことも、
別れを決断する原因だったと彼は言っていた。
私は彼に幸せにしてもらおうなんて思ってなくて、
ただ、彼じゃないと幸せになれないって思っていた。
不器用で、まっすぐで、
「好きだったら付き合っててもいいじゃない。
結婚なんてまだ先のことなんだし」
そういう私に、
「幸せになってもらいたいねん。僕じゃあかんねん。」
といって泣いた彼。
「結婚できるかもわからんのにずるずる付き合えへん。」
と何度も言い合いを繰り返した。
だけど、お互い好きで、永遠に切ることなんてできなくて、
電話をしてしまう。
彼も酔うと電話してきて、時には泣いた。
すぐに会えない距離がもどかしくて、寂しかった。
それでも年に何回かは会いに行って、デートもした。
ただ、けじめはつけないとあかん
といって、ある時からは一度も泊まったことはない。
そういうまっすぐなとこが好きだったけど、切なくて、
何度ももう会わないって思ったけどやっぱり無理で。
この何年かはお互い本当に苦しかった。
そういえば亡くなる少し前、いつものように酔っぱらって電話をしてきて
「エッチしたい」
って言ってたな。
その時は私も嬉しかったのと恥ずかしかったので、
「いいよ〜。いつすんの?」
って言って、じゃあ、3月はお泊まりで遊びに行くわ。
って話した。
その約束を果たす前に亡くなってしまったから、
あれが本気だったのかどうかわからないけど、
3月に神戸でボクシングの試合があって、
それに誘ってくれていて、
試合は夜だったから、もしかしたらお泊まりしてたのかもしれないなって
今でも思わずにはいられない。
別れてから遠慮してたのか彼の方からは会おうとかってあまり言ってくれなかったから
そのボクシングに誘ってくれたことが本当に嬉しくて、
絶対に行きたいと思ってたのに。
そんな話をして、
お母さんは最近まで電話をしたり
会っていたことを知らなかったから
「あの子は最後まであなたに会わせてもらってて
幸せやったと思います。本当にありがとうございました。」
とお礼を言われた。
きっと誰が悪いんでもない。
最後まで彼の彼女でいたかったという思いもあった。
だけど、私は彼の最後の彼女には間違いなくて、
そんなこと本当はどうだっていいんだけど、
そんなことにこだわってしまう。
そして、1月の彼の誕生日プレゼント。
結局渡せなかったおそろいのネックレスをお母さんに渡した。
まだ納骨されてないから、納骨まで仏前に置いてほしいと思った。
お母さんはありがとうと受け取ってくれて、
「納骨の時にこのネックレス、私がもらってもいいですか?」
と聞かれた。
「私はお母さんがもらってくれるなら一番うれしいです」
と言った。彼はお母さんが大好きだったからきっとそれが一番いい。
最後に不思議なことがあって、
起き上がれないくらい体調の悪かったお母さん。
お葬式の時もお寺のたたみに座ることができなくて、
椅子に座ってたのに、
亡くなったあと、嘘みたいに病気が治って、
病院でも原因がわからないって言われたらしい。
きっと彼が治してくれたんだって、私は思っている。
お母さんと話ができたこと、
本当に良かった。
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